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たけのひろこ


私の生い立ち

寅さんとドカン

小学校の時、松竹大船撮影所近くでおじさんにドカンとぶつかりました。「おっとごめんよ」。見上げると渥美清さんでした。映画「男はつらいよ」に出てくる印刷工場の内部ロケは、私の父が経営していた印刷工場です。みんなで祖母の介護をしながら家族総出で夜遅くまで製本、梱包を手伝いました。

高校2年のときに父の工場が倒産しました。差し押さえられるからと、家族が一番大事にしていた柱時計を祖母の家に預けました。健康保険料が払えず、私がけがをしたときは病院で実費を払い、それっきり行けませんでした。
アルバイトは二つ掛け持ち。父は「オイルショックにやられた」と言ってました。「世の中のことを知らなきゃ貧乏になる」。私が政治の方を向いた出発点でした。

社会はみんなで変えられることを知り

社会のことを勉強しだしたころ、友人に誘われて行った芝居で、戦争中「アカ」と呼ばれる若者が官憲に追われ、貧乏な農家がかくまうシーンがありました。小林多喜二の「党生活者」も読みました。「国を挙げてあんなすごい戦争をしていたときに、戦争に反対し、投獄されてもその意志を貫く人たちがいたんだ」。こんな強い意志を持てたのは、社会は変えられるという確信があるからだとわかりました。私も歴史を前へ進める一人になりたいと思い始めました。

組合差別、そして共産党に

高校卒業後ソニーに就職し、CCDカメラの研究室に配属。仕事も人間関係も恵まれました。しかし、CCDが開発段階になったとき、チームから外されました。上司が親切心で言ったのは「あんたが労働組合員だから」という言葉。会社は働くものを守らない……。やっぱり、こんな会社変えないとだめだ。日本共産党に入りました。

働きながら子育て、そして運動

24年前、2人の子育てをしながら「しんぶん赤旗」の編集の仕事をしました。保育園が民営化されると聞き、親たちが市役所に詰めかけたのもこの頃です。市は財源がないの一点張りでした。

侵略戦争を肯定する教科書が採択されそうになったときも、大勢で教育委員会を傍聴し、卒業式での「日の丸」「君が代」の強制には、「強制は教育になじまない」と学校に申し入れを続けてきました。

コミュニティーを大切にしたい

東日本大震災から6年。生活が破壊され、そしてコミュニティーがいかに大切なものかも思い知らされました。立場の違い、生き方の違い、さまざまな違いがあっても、みんながまず一致することを前に進める、こうしたコミュニティー=住民相互の交流が行われている地域社会を大切にする鎌倉市にしていきたいです。

日本共産党は英語でジャパニーズ・コミュニスト・パーティー、コミュニティーを大切にする党なんです。

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