よこがお
人の役に立つ仕事がしたい
私は、埼玉県さいたま市に生まれました。共働きのサラリーマン家庭で育ち、兄弟は弟と2人でした。
埼玉栄高校卒業後、「人の役に立つ仕事がしたい」と思い公務員を志しました。就職「氷河期」の時期で苦労しましたが、北海道庁に就職し、生活保護など、福祉の現場で仕事をしました。
友人・知人のなかには、職につけなかった人もいて、若者が大切にされない政治・経済のあり方に疑問を感じました。
高校時代、リクルート事件など金権・腐敗政治がひどく、両親は長時間労働で何とか生活しているのに、政治家はなんだと怒りをおぼえました。
汚い金をもらっていないまともな政党は日本共産党だけと思っていたときに、友人から声をかけられ、18歳の誕生日に日本共産党に入党しました。それが私の原点です。
福祉の現場で知った政治の大切さ
道庁時代、函館周辺を管轄する福祉事務所で生活保護のケースワーカーとして働きましたが、社会保障の貧弱さをひしひしと感じました。職を探しにいっしょにハローワークにも行きましたが、仕事に就くことは容易ではありませんでした。
水産加工など第一次産業が中心の地域でしたが、国は、一次産業は全然応援してくれない。これでどうして働く場を確保できるのか、悔しい思いとともに、政治の役割が重要だと痛感しました。もう一度、地方政治や法律を学ぼうと、働きながら北海学園大学で学びました。そこで学んだことは、その後に生きています。
そして鎌倉へ 市議会議員に初当選
結婚して、鎌倉へ移りました。2005年に児島晃議員のあとを継いで、多くのみなさんに応援していただき、市議会議員に初当選させていただきました。29歳でした。
(写真)たぶのき公園で演説するたかの洋一
1期目は、地元のみなさんとご一緒に、街区公園がなかった材木座地域に、国有地を活用して「材木座たぶのき公園」を実現しました。
また、今泉消防出張所の新設にあたり人員確保を強く迫り、現在まで岩瀬・今泉地域の防災拠点として機能しています。
学校給食の民間委託問題でも直営堅持の論陣を張り、お母さんたちとご一緒に取り組みました。
地域のみなさんに育てていただいた2期目。自治会のみなさんと津波・防災対策に全力
2期目の当選をはたしてすぐに、地元・材木座の皆さんから「自治会活動に力をかしてほしい」とお声をかけていただき、自治会の役員として活動してきました。相談して防犯パトロールをはじめるなどして、地域のみなさんの顔が見えるようになりました。
(写真)住民のみなさんと一緒に実現した材木座4丁目の津波避難場所確保と避難路の整備
特に、東日本大震災が起きてからの2年間は、材木座11自治会の防災会議に参加し、地域のみなさんと相談しながら、津波・防災対策に力を入れました。
材木座4丁目の紅ケ谷・市営住宅跡地を避難場所に指定させ、材木座たぶのき公園の避難路・手すりを整備することができました。
地域のみなさんの真剣な努力に学び、地域のみなさんに育てていただきました。
震災直後から、津波で最大の被災地となった石巻市に出向いて、家屋の泥出し作業や救援物資を届ける活動に参加しました。災害から住民の命とくらしを守ることこそ政治、自治体の役割だと、改めて決意を新たにしています。
「よろず相談所」を開設
8年前から、自宅でもある材木座の事務所に「よろず相談所」の看板をかかげ、サラ金で困っている方や、生活困窮であすにもアパートを退出しなければいけない方など、様々な相談にのってきました。
相談件数は数百件にのぼると思います。これからも頑張っていきます。なんでもお気軽にご相談ください。
子どもたちの未来のために原発のない社会を鎌倉から
福島第一原発の事故は人ごとではありません。子どもたちの未来のために、今後このような事故を絶対に起こしてはいけない、そのために原発のない社会を実現することが、私たち大人の責任だと強く感じています。
(写真)原発ゼロを求めるパレード
議員2期目の市議会では、大飯原発の停止を求める意見書を提案し、他会派にもよびかけて可決、政府に提出しました。首相官邸前集会や、市内の原発ゼロを求めるパレードにも参加しました。
環境を大切にする街、鎌倉から原発のない社会をめざし、みなさんとごいっしょに自然エネルギーや省エネルギーの推進を中心課題のひとつとして進めていきたいと決意しています。